詩ふたつ、志ふたつ。

そうこうしているうちに、あっという間に2015年の暮れが迫ってきてしまった。

今年は本当にいろんな別れがあり、身内の別れもあったけど、一方的な思い入れをしていた人たちとの別れもあった。その中でもわたしにとって大きなふたつの死について。

詩ふたつ-長田弘
ひとりは長田弘。5月3日に亡くなった。真実の言葉をすっと、渡してくれる人だった。まっすぐだけど、決して鋭く刺してくるような言葉ではなく、さらりと飲み込める言葉だった。鬱陶しいポジティブではなく、ただ素直な肯定があった。
2010年発行の「詩ふたつ」という詩集。
クリムトの絵とともに、「花を持って会いに行く」「人生は森のなかの一日」という、2つの詩が収められている。亡くなった奥さまに向けられた言葉は、そのまま、彼の言葉を心に刻んできた者たちに遺された言葉になった。どんな詩なのかはぜひ読んでいただきたいので、あとがきよりちょっとだけ抜粋。

亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。
「詩ふたつ」に刻みたかったのは、いまここという時間が本質的にもっている向日的な指向性でした。心に近しく親しい人の死が後にのこるものの胸のうちに遺すのは、いつのときでも生の球根です。喪によって、人が発見するのは絆だからです。

もうひとりはMark Murphy。10月22日に亡くなった。「歌うことは語ること」だと言うは易しだが、問題はそれがどういうことなのかということだ。個人的にはそれはinterpretすることであると思っている。interpretは解釈し、それを自らのフィルターを通して自らの表現として提示するということだ。彼はボーカリスト、ミュージシャンである以上に、最高のinterpreterであったと思っている。その上、その解釈をとても冒険的でヒップなスタイルで、見せ続けてくれた人だった。これからもわたしは彼の遺したものを聴いて、わくわくし続けるんだ。ひとつひとつ、玉手箱を開けるように。


Two Kites
ジョビンのも好きだけど、彼のバージョンは本当に飛ぶんだ。自分はライブでやって墜落したけど(笑)

Give me a moment
Just to finish this brew
To undo the voodoo
That kept you away

夏の終わりにズブぬれになって思ったこと

昨日は知多半島の大草海岸で歌ってきました。ポツポツ雨になったんであわてて最後の曲やって、そこからかなりの土砂降りでバケツかぶったみたいにズブぬれに(笑)ライブ終了後さらにひどくなる雨の中で、対岸の花火みて(ずっと傘さしててくれたKさんありがとう!)バーベキューやって帰ってきて爆睡。そして現在絶賛風邪の予感中と、このものすごい行き当たりばったり感がたまらない。底抜けに楽しい夜でした。

そしてその後、明け方に今月6日に見送って以来はじめて母が夢にでてきて。はたと目が覚めて自分の中で考えてたいろんなことが繋がってきたような気がしたんであわててここに書いとこうと。ちょう長文だし、まだ頭の中でまとまってないんで書きなぐりですが。

まず思ったのが、人は死んだときじゃなくて、本来の姿で記憶されるんだなあと。そして私にとってはそうあるべきだなということ。
母はもともと5年前にくも膜下出血で倒れて、今回2度目の出血で残念ながら助からずそのままいってしまったのですが、1度目に倒れたとき、おかげさまで外側は何の障害も残らなかったのですが、性格が変わってしまって、気弱でちょっとわがままな子供みたいな感じになったのですね。それはそれで新キャラ出現という感じで、楽しませてもらいましましたが、本当はイライラしたこともあったし、寂しかった部分でもありました。
でも今朝夢に出てきた母は以前の母でした。正義感が強くて、やると決めたら倒れるまでとことんやって、おだてに弱く(笑)人に喜んでもらうことを最上の喜びとしている。

これはこれでなんだかなあと思う部分もあったけど、かっこいいなと思う人でした。
新キャラの母になって、たった5年だったんだけど、もともとそういう人だったことを忘れてたんですよね。昔の母だったらどうするかみたいなことを思い出そうとしても、今の母の印象が強くて思い出せない。
と思ってたんですが、今日の夢を通して、意外とすんなりと昔の母は帰ってきました。そしてわたしはやっぱり昔の母が好きだから、その姿で記憶しておけばいいんだと。

そう思ったらぶわーって泣けてきて、正直これまでもちらほら感情を小爆発させてたけど、コントロールしてる部分があったんですよね。

感情ってミルフィーユのようなものですよね。いろんな色、かたちで何層にもなっていて、どれを取り出すかは自分次第でもあるんですが。頭で戦略的に選ぶ方が、「より良い人生」のためにはいいと思うけど、ときにはそういうスイッチを切って、ただの「生物」に戻って、まるごと本能的に感じる勇気も必要だなと。「面白い人生」にしたいなら。そうなることで失敗したり、傷ついたりしてしまうかもしれないけど、その先に見えるものがやっぱり見てみたい。

昨日バンドの人に「もっともっとさらけだせ」みたいなことを言われて、それはいみじくも自分の音楽活動上での課題だったので、ドキっとしました。とくに先月からの怒涛の展開で歌う気力がなくなってたし、ちょっと引っ込みたくなってて「雨の岩戸」みたいな状態だったんですね。自分が。だからこのところ、ちょっと何取り出すか慎重に選んでたんですよ。ミルフィーユの中から。

だけど海と雨がそういう引っ込んでた自分を洗い流してくれて、ポーンとなんか飛び出したっていうか。きっとそれで母の夢もみられたのかな。やっぱり自然は偉大ですねえ。

いつもライブやっているときは、そこにいる人たちと「どこか」に行けたらいいなと思ってるんですよ。だけど、正直それがなかなかできない部分でもあったりするのです。「どこか」に連れて行こうにも自分が家から出てないというか、そういう状態のときもあり。せっかくみんなは旅支度で行く気まんまんなのに、自分はまだ家にいるという(笑)どっちかというと頭で考える派なので、ついついそういうものが邪魔したりとかですね。
でもみんなに来てもらうためには、わたしが行かないと。まだまだ準備ができてないかもしれないけど、とりあえず成り行きでズブ濡れになるくらいの覚悟で。

結局ほんとはそこなんですよね。芸事の本当の楽しみにありかは。苦しみもセットだけどね。腹の底からバカになるっていう。ちょっと理性でコントロールするところを超えたあの最高の場所にまた行けたらいいなあと思ったのでありました。

音楽、海、雨、花火。
なんというかハードな夏でした。ベートーベンじゃないけど、リアルに運命が扉を叩く中で、戻ることができない選択をいくつもしたし、理解できないままに崖っぷちに立たされ、そこから這い上ったり、でも突き落とされたりして何かを感じてるヒマもなかった。
だけど最高にかっこいい生き様の人との出会いもあったし(これについてはまたあらためて書きたい)これからの人生に役立つ詰め合わせセットをたくさんいただいた夏でもあったなと。

見守りふくろうさん
見守りふくろうさん

生徒さんからいただいたふくろうさん。「見守り」ふくろうさんなんだって。
今回、生徒さんからもたくさんの言葉や気持ちをいただきました。今までわたしが生徒さんに差し上げてきたほんとにささやかな気持ちにいっぱいいっぱい利子がついて返ってきた感じで、気づかないうちに、わたしこんなに貯金してたんだとわかってすごくすごくうれしかった。いや、貯金っていうとおこがましいかもしれないな。もっともっと大きな宝くじレベルです。本当にありがとうございました。

ストレングスファインダーで楽する計画

さる6月13日土曜日、ストレングスファインダー(以下SF)の講座に参加してひさびさにSF漬けになってきました。昨年はじめ、資質トップ5を出したはいいけど、その先何したらいいのかわからず困っていたときに資質読み込みをしてもらった塙コーチが名古屋にやってくる&ストレングスコーチとしては東海地区唯一の大好きな丹羽コーチの共同開催というので、これはいかないかんと万障繰り合わせ参加してきたのです。

私の周りでもSF出してる人は結構いるのですが、だいたい次のような感じの人が多いです。

1やりっぱなしで終了
2心理テストとか、占いみたいに当たる当たらなかった的な話で片付る
3出したトップ5それぞれの説明のところだけ読んで、そこからどうしたらいいかわからず
(これが当時の私)

私の場合、そこで塙コーチに資質読み込み(トップ5の資質を組み合わせてどのように使っているか、使えるかを教えてもらえる)をしてもらい、さらに深く知りたくなってストレングスラボの基礎コースに参加したりしたんですが。

そのときわかったのは、キモは、いわゆる「俯瞰」なんだろうなあということ。感情や行動の傾向を司っているものそれぞれに「名前をつけてやる」ことによって、自分も他人も客観視できるようになる。そしてSFの場合、その資質を意図的に使えるようになると、人生楽になるというところ。
今回の講座に参加して、さらにわかったのが、

自分の資質を意図的に使うことで自分が楽になる→状態が整う→また資質が上手に使える→楽になる
というナイスな循環にもっていけるということ。

最近、生産性ってエネルギー管理だよなと思っていて、そのへんとうまく繋がらないかなと思ったわけです。
いかに効率化して時間管理して計画とか立てても、結局電池切れちゃうとどうにもならんわけですよ。体力的にもメンタル的にも意欲的にも。

自分のエネルギーをできるだけ維持し、ゴキゲン状態でいるには。
なんかやろうっていったときに、動けるスイッチがどこにあるのか。
逆にオフのスイッチがどこにあるのか。
そういう部分を見つけるのに役立つかもしれないぞと、そんなことを考えはじめました。

それもこれもとにかく「楽」をしたいがためであります。わたしの人生テーマの1つはそれだから。

A House Is Not A Home – Sarah Vaughan – YouTube

Sarah Vaughan with the Jimmy Rowles Quintet
Sarah Vaughan & The Jimmy Rowles Quintet
ひさびさに出してきた。このジャケから漂うサラのラスボス感はんぱなし。
もちろんサラはいつものように、赤の女王のごとく君臨している。
他の選曲もマニアックで好きだけど、バカラックのこれはぎょっとするくらいすごいのでただただひれ伏すしかない。

転がしたり、放り投げたり、引き伸ばしたり、揺らしたり、絞ったり、滑らせたり
こんなふうに自在に音を操れたらどんなに楽しいだろうか。一体いくつのマジックを身につけ、転生したらこうなるんだろう。
加えてこれがライブであるという驚き。
さらにジミー・ロウルズのピアノ。伴奏者としてのジミー・ロウルズが好き。主張しない主張。

この中の誰かになっていいよっていわれたら、やっぱりジミーになって
サラの伴奏したいな。絶対そっちの方が幸せだ。なんたる幸せだろう。一緒に(ちょっと後ろから)天に駆け登っていきたい。

サヴァランとぽんぽこ

まだ「スウィーツ」が「洋菓子」で、お誕生日会とクリスマスのケーキが待ちきれなかった頃の、忘れられないお菓子が2つあります。

小学生の私が通っていた音楽学校のクラスにいた女の子。すらっと背が高くて、いつもお洒落で、美しい声で歌い、話す彼女。とても目立つ存在なのに、控えめで、一人ぼっちでも堂々としていて、同級生にはいないタイプの彼女は、まるでキラキラした少女マンガから抜け出した主人公みたいで、遠く憧れる存在でした。そんな彼女とひょんなことで仲良くなって、家におよばれしたときのことは今も印象的な夢の中の出来事のように鮮明に思い出せます。

リカちゃんママみたいなやさしいお母さんと大きな白い犬。ビロードのカーテンにゴブランのクッション。ふかふかのソファに漆黒のグランドピアノ。ほとんど忘我の境地だった私の目の前に運ばれてきたお菓子。これが「サヴァラン」との最初の出会いでした。

そして真っ白なホイップクリームといちごと桃で飾られた王冠のようなお菓子に釘付けになったのです。このお菓子を捧げられた美食家の名前も、後に大好きになる女性のエッセイの名前も、まだ知るはずのない私には、サヴァランという名前が、不思議な呪文のように感じられて、あっという間にこのお菓子のとりこになりました。それからの出来事をあまり覚えていないのは、サヴァランに浸されたラム酒のせいなのか、本当に魔法にかかってしまったのかどうかはわかりません。憧れの彼女はそのすぐ後に、突然引っ越していってしまいました。私は彼女の思い出とサヴァランを重ね合わせて、洋菓子屋さんに行くとはサヴァランを買ってとねだっていました。

それからしばらくして、私のお誕生日会の日がやってきました。母にケーキはサヴァランにしてね、とあんなにしつこく言っておいたにも関わらず、テーブルの上にあったのはタヌキの形をしたケーキでした。友達のみんなには「うわーまりちゃんにそっくりだね」と大ウケ。はじめはふくれていた私も、そのユーモラスなタヌキの前では思わずニヤニヤしてしまい、そのチョコレートのコーティングでできたタヌキを食べてしまうのは惜しいなあとも思ったのでした。

そのユーモラスなタヌキには、15年くらい経ってから再会することになります。大須の洋菓子喫茶にいたそのケーキには「ぽんぽこ」という名前がつけてありました。まだ背伸びをしていた頃のお誕生日会の私を思い出し笑いをしながら、行くたびに注文していました。ところが、その喫茶店は改装してしまい、ぽんぽこは消えてしまいました。いまならユーモラスなこのタヌキと友達になれたのにね。

憧れの彼女のサヴァラン、そして自分にそっくりと笑われたぽんぽこ。背伸びした私と等身大の私のお菓子が、私の中で、あのときの彼女と私のように、今も仲良く幸せそうに手をつないでいます。あれからいろいろなお菓子に会ったけど、時折思い出の背中を追いかけたくなるような衝動に駆られるお菓子はあの2つくらいかもしれないなと思いながら、ブリア・サヴァランのこんな言葉を思い出します。

「新しい星を発見するよりも、新しい料理を発見するほうが人間を幸せにするものだ」

(「なごやに暮らすvol13」2006年掲載)

【ひとり朝活】朝時間の活用アイデアを考える

昨日「朝活手帳 2015」でおなじみの池田千恵氏の「朝が変われば世界が変わる!春こそ『朝活』をはじめよう!」という講座に行ってきました。

朝活…なんでしょうこのうっとり甘美なる響き。昨今の「◯活」という安易な言葉遊びに辟易しつつも、朝活という言葉だけは特別。どんなに手垢がつこうが、一億総朝活ピーポーだらけになったとしてもその魅力は色褪せない。ボーントゥビィ夜型人間としては永遠の憧れ。

でもまったく朝活と無縁かというとそうでもなく、先日まで受けていたコーチングで「週に1度(くらい)早起きしてモーニング食べに行く」というちいさな目標を決めて実行しているのでそれは続けようと思っているのです。時同じくしてBRUTUSで朝食特集2出てたし、ブルータスお前もかってとこで、やっぱり楽しいことだと早起きできる。今日の講座でも同じことを先生がおっしゃってました。

あと、意外なことと組み合わせてみるっていうのもアリだそうです。朝神社に行く「神活」も流行ってるらしいですよ。先生は朝シャン(朝にシャンペンを飲む)とか、朝忘年会とかもやったそうです。たのしそう。

ウチは夫婦とも仕事の時間が不規則だけど、仕事に一定の波みたいなのがあるのなら、その間とかに朝時間活用週間みたいなのを設けてもいいよと教えてもらいました。ずっとじゃなくてもいいんだとわかると気が楽。

それから「朝活」というとどうもみんなで集まってどうのこうのみたいなイメージがついちゃってるのがどうも…とおっしゃってました。そうか、朝活の仲間見つけなきゃと思ってたんだけど、ひとりで自分を見つめ直す時間にしたっていいんです。これまた気が楽。

てなワケで、私なりにひとり朝活アイデアを10こ考えてみました。この中からいろいろ実行していきたい。ひとり朝活に興味のある方はご参考にしていただけたらうれしいです。

1モーニングに行く
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もともとやりたかったこと。夜型にとってはすごい特別感あるのですよね。写真はコメダの和風喫茶「おかげ庵」のおにぎりモーニング。

2「積ん読」本を読破する
夜だとつい寝落ちしちゃって中途半端になってる本がたくさんあるのでそれを読破する。

3 瞑想+ヨガ
クリエイティブの仕事には瞑想いいよって言われてるけど、夜やるとこれも寝落ちしちゃって何したんだかわからないんでちゃんと意識ある状態でやりたい。ヨガの先生のところに行ってもいいな。

4 日記を書く
昨日やったことなど。夜はネガモードになるときが多いので、朝の方がまともな視点で振り返りができる。逆に今日やることは前日の夜に出しておくといいと思う。

5 どっか気になるところを1箇所だけ片付ける
仕事の日は机とかファイルとか。プライベートだったらクローゼットの一部とか。すっきりしそう。

6 発声をする
朝一で声を出すとあまり出ないのは確かだけど、ウォームアップしておくのはもちろん悪いことじゃないっていうかむしろいいです。声がかすれてるなら、リップロールだけでも。ウチのスタジオでメニューつくろうかな。ボイトレ朝活。朝からさわやかジャズヴォーカル(笑)

7 朝一でヘアサロンとかネイルサロンにいく
これは先生が言ってたこと。美容師さんが元気なうちにやってもらった方がいい「気」が入りそうだからとのこと。確かに!そして贅沢って感じがいい。

8 エプソムソルトのお風呂に入る
エプソムソルト 2個セット4.4kg(2.2kgX2.2kg)
エプソムソルトはデトックス効果が高いけど、長時間は入れないので朝にさらっと入るのがぴったりかも。

9にわかガーデナーとして庭いじりをする
草むしったり、土を触ってるとなぜか落ち着くんですよねえ。農耕民族万歳!地に足のついた人間になれそう。

10手紙を書く
メールじゃなくて手紙。英語ではネットができてからsnail mail(かたつむりメール)という表現ができたのが面白い。クロニクルブックスから出た新刊でこんな本も出てます。
Snail Mail: Rediscovering the Art and Craft of Handmade Correspondence
鳩居堂のお気に入りの便箋や封筒と万年筆を使って書くのも良し。

 

ああ朝について妄想してるだけでさわやか気分になれます。これをいっぺんにするのは難しいだろうけど、気がむいたことからいろいろやってみたいと思います。気がむいたらここでもレポる。とりあえず朝時間確保のための戦術を練らねば。

内気な人と含羞について考える

ライフハッカーでこんな記事をみました。

内気な人がバランス良い生活を送るための7つのヒント

引用元はPick the Brainでタイトルは7 Tips For Introverts to Lead a Balanced Lifeとなってました。introverts=内省的な人、内向的な人ってのが最近肩身がせまいと感じているのは日本だけじゃないんだなとちょっとグッときました。

友達が多い人、繋がっている人がリア充とか、キラキラ生活みたいなのもそうなんだろうけど、もう1つ気になるのは、昨今の「前に出てなんぼ」といいますか、How to get noticedみたいな風潮。個人でもブログ書いて、アウトプットして、本も出しましょうみたいな。いやそういうのも嫌いじゃないんだけど、時々めんどくさいなあというか、誰もいない荒野で動物と暮らしていきたいとか思っちゃう。だいたい大きな声あげて目立ちましょうというのは、およそ日本的ではないなと思うし。しかもこちらも日本的な「みんなそうしてるから」という横並びでいなきゃという意識がちょっと悪い方に作用してるというか。

その昔、某宇宙開発系企業の若手の人を取材させてもらったときに、その人が「最近『含羞』について考えてるんですよ」と言って。まだ当時20代のその人の口から「含羞」という言葉が出たことも驚きだったんだけど…だって、まだがつがつしていてもいい年代なのに、えらいかっこいいなと思いました。まあ大手でそれなりのポジションにあった人だからいえることかもしれないですが…。余裕なきゃ言えないよなあ、あんなセリフは。

しかし今こそ、こういう含羞とか、路傍の石とか、主張しない美徳とかそういうのもちょっと思い出してもいいんじゃないかな。「私は」が溢れてたらやっぱりちょっと息苦しいし、損得ばかり考えていたら疲れちゃう。そしてそういうことに「ケッ」って言って「嫌われる勇気」(笑)を持ちたいもんだ。たまにはシャッター閉めちゃいますみたいな。

とかいいながら自分もそういう輪に巻き込まれているんだけども。少なくともこのかしましい世の中で、誰からも触れられないものも持っていたいなと思うのでありました。内むきに、ひっそりと。